理事長 平成24年4月9日「心に自分の竜を育てる」

自己に閉じ込められ 自己にこだわっている間は 世界を真に見ることができない

自己が自由に、自在に動くとき 世界もいきいきと生動する』

道元禅師

最近より一層、心を定めることの大切さを痛感しています。

そもそも、人の心が様々な事を生み出します。

もちろん人知では計れない天変地異などは別としても、人をうらやむ心・ねたむ心がケンカやいさかいを生み、思想や価値観の違いが戦争を生み出し、他人の心や命の大切さが分からない心が虐待や凄惨な犯罪を生みだします。

しかしまた人を慈しむ心や愛する心は家族や友達を生み出しもします。

この人を慈しむ愛する心を仏心「ほとけごころ」と言います. 人は、観音さまの慈愛の心や不動明王のたくましい心を持つことを身につけなければなりません。

そのために、自己を習うことが大切になります、自己の人格を正しく形成していくことに努めなければなりません。

少し話は変わりますが、昨年ブータン国王が来日なさり、東日本大震災の慰問として福島県を訪れ、子供たちにお話をされた内容に深い感銘をうけました。

「ブータンの国旗には、なぜ竜が描かれているのですか?」子供の質問から以下のお話をされました。

「私は、竜を見たことがあります、その竜は私の身の内のなかで見ました。私は、ブータンの子供に身の内のなかに竜を育てなさいと教えています。

その竜は、悲しいこと、苦しいこと、楽しいこと経験を食べて成長します。年を重ねるごとに強くたくましく成長していきます、皆さんも身の内のなかに竜を育ててください」

経験が強くたくましい人格を育てると伝えていました。

さて今の文明社会は、様々な便利なものを生み出しています。例えばコンピューターがあります、しかしこの発明は便利さを与える反面、人がコンピューターに依存する生活を与え、想像力・応用力・感性を欠如させています、そしてその結果、想定外が起こるとフリーズをおこしてしまう人を育てています。

心を定めるためにも、他者や物に依存せず自ら進んで習うことが、大切となります。

また、心を定めるために「物事に捉われない」ことも大切です。

しかし捉われないとは「捉われないように思うことにも捉われない」ことになり、「捉われない心とは?、中道、無心・平常心・・・・・」と捉われの悩みが広がります。

“捉われているが捉われてない心”難しい境地です。ほんとうに人の心は、捉われやすいものです。

物事に細かい人、きちんとする人、おおざっぱな人、だらしない人、理屈っぽい人、知識に頼る人・・・それぞれ人生の時間を追うごとに固執していきます。

たとえば細かい人とおおざっぱな人は極にあります。

細かさに傾いた思考なのか、おおざっぱさに傾いた思考なのか、いずれにせよメリットとデメリットがあります。

細かい人、きちんとする人は、張りつめた雰囲気をつくり、自分にも相手にも心の余裕をあたえません。おおざっぱな人、だらしない人は、だらけた雰囲気をつくり、自分にも相手にもけじめがつかない状況をつくります。

そして傾きすぎていることは大きな弊害を生みます、それは意外に自分では気づかないものです。

どちらかに傾いて捉えるのではなく、両方をうまく心に定められることが、その人の器量を広げ器の大きさとなります。

その為には、自分の心が定まっているか、日々の振り返りが必要になります。

それを振り返るため「心に竜を育てる」必要があります。

この心の竜が、客観的に傾きがなく物事を判断することを自分に教えてくれるのではないでしょうか?

さて振り返れば私自身も、まだま足りぬことが多くあり、心が豊かな人に成長しなければと感じます。

理事長 長谷川文徳

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